【ツレが産後ウツになりまして】最終回:夫婦で泣いた、断乳の夜

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子どもが母親になつかない(『赤ちゃんが妻だけになつかない』)という深刻な問題に直面し、それと同時にアレルギー問題や夜泣き(『アトピー性皮膚炎との闘い・除去食の日々<後編>』)といった問題と向き合い続けた日々。

そんな長く辛い日々にも夜明けがある。

自身の不妊治療奮闘記を綴った『俺たち妊活部』の著者・村橋ゴローが見た、最愛の妻が産後ウツになっていく……壮絶な産後育児の結末をお伝えします。

 

「赤ちゃんが妻だけになつかない」は一体何だったのか?

赤ちゃんが生まれてから7ヶ月が経った頃だった。

打ち合わせが思いのほか手こずり、家に戻ったのがすでに夕方の6時。そのため僕の当番であるはずの夕飯づくりを、珍しく妻がやっていた。僕はひとりソファに腰かけ、ぼんやりとキッチンを見やる。

 

あれは一体、何だったのだろうか?

赤ちゃんが妻だけになつかず、妻が抱く度に耳をつんざく勢いでチビは泣いていた。いまキッチンで味噌汁をつくる妻の足元には、ハイハイを覚えた赤ちゃんが「ママ、ママ」とばかりに離れようとしない。

 

「ちょっといま、お夕飯つくってるから抱っこできないのよ、ごめんね。ねえ、ちょっと替わってー!」

最後に僕に呼びかけ、赤ちゃんを寄こした。僕が抱っこしてあやそうとすると、泣き出してしまった。

「もう~、そんなにママのほうがいいの?」

 

本当にあれは何だったのだろうか?

 

きれいな「赤ちゃん肌」を取り戻したわが子

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子どもが産まれてから、妻が産後ウツにかかり、それが明けるまでの3ヶ月間。本当にこの子は、ずっと一生泣いて過ごすのではないか、と本気で思っていた。ハイハイするまで成長するなんて信じられなかった。

風の噂によると、このあとこの子は言葉を喋り、スタスタと歩き出すらしい。そちらのほうは、さすがにまだ信じられない。まあいつかはそうなるのだろうけど、過酷な育児の只中にいると、時間は永遠にこのままで、時計の針は進んでいかないのではないかという錯覚に襲われるからだ。

 

食卓には僕の大好物の鶏のタツタ焼き、お刺身、サラダと味噌汁が並べられた。

 

生後1ヶ月で子どもにアトピーの疑いがあると診断された。母乳で育てていたため、以来妻は、卵・小麦粉・大豆類・乳製品・イモ類の除去食を余儀なくされた。子どものほっぺは真っ赤に腫れ上がれ、僕は赤ちゃんと外出しても人の目に触れさせることを恐れた。

 

それが治療を進めるうちに「卵アレルギーのみ」であることが判明し、この日のように小麦粉と乳製品、大豆たっぷりの料理も食べられるようになった。ステロイドのあまりの効き目にビビってはいるものの、赤ちゃんのほっぺにもはや腫れものはなく、いわゆるきれいな“赤ちゃん肌”を取り戻した。

 

本当にあれは何だったのだろうか?

夫婦で泣いた、最後のオッパイ

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大人用の食事をつくり終えた妻がキッチンから出てきて、ソファの僕の横に座った。大人が食べる前に、赤ちゃんにオッパイをあげるためだ。赤ちゃんはよほど腹が減っているのか「あーあー、だーだー」と、先ほどからうるさい。

 

子どもが産まれてからの1ヶ月間、義父母が赤ちゃんの世話にやって来たことがあった。あまりに泣きはらす孫を見た義母は「よお泣く子はお喋りになるたい。この子は、よお喋る子になりよる」と言っていた。

あのときは「夜泣きのひどいわが子への気休め」ぐらいにしか思っていなかったのだが、あれは本当で、まあよく喋る。まだ具体的な言葉を発することはできないが、いつも僕か妻に「だあだあ」と何かを伝えようとしている。

 

「はい、おっぱいですよー」

 

妻が乳房を出すと、小さな両手を乳房に添え、勢いよくかぶりつき、んぐんぐと飲みだした。

 

「ちゅっ、ちゅっ、ちゅ~ 赤ちゃん おっぱい上手~」

 

 

赤ちゃんが母乳を上手く飲めるようになってから、妻はこのような自作の歌をおっぱいのときに歌うようになった。だから楽し気に歌う妻にとってこの歌は、育児がすべて上手くまわりだした象徴なのだろう。

 

妻が僕に話しかける。

「もう今日が最後だなんてね……」

「本当だよな。やっとおっぱいが上手になったのに、これで最後なんてな」

 

明日から妻は復職する。それに伴い、赤ちゃんも明日から保育園に通うのだ。まだ7ヶ月、母乳育児の継続も考えたが、いい機会だと断乳を決意した。今日が、その最後なのだ。

 

「ねえ、見てえ。こんなに一生懸命飲んでる。かわいい」

「本当に大変だったもんね。りえちゃんはよく頑張ったよ」

「どんなにつらいことがあっても、この子がおっぱいを飲んでくれたら、すべてがチャラになるの。おっぱいを飲んでくれてる姿を見ることが、アタシの生きがいなの」

 

いつの間にか、ふたりは泣いていた。産後ウツにかかった3ヶ月間、その妻の苦労を知っているからこそ、僕も泣けた。いま思えば、あの3ヶ月は人生修行だった。ふたり逃げることなく戦ったからこそ、この日の涙があったのだ。夫婦で泣いた断乳の夜、これは僕ら夫婦のかけがえのない宝となった。

 

右のおっぱいを飲み尽くした赤ちゃんは、次に、左のおっぱいにかぶりついた。

 

<おしまい>

 

【関連記事】

※ 【ツレが産後ウツになりまして】第9回:妻の涙をぬぐう、赤ちゃんの小さな手

【ツレが産後ウツになりまして】第8回:アトピー性皮膚炎との闘い・除去食の日々<後編>

【ツレが産後ウツになりまして】第7回:アトピー性皮膚炎との闘い <前編>

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【参考・画像】

※ KieferPix、Alexander Raths、KieferPix、/ Shutterstock

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【著者略歴】

※ 村橋ゴロー・・・72年、東京都出身。大学生のときライターデビュー。以降、男性誌から女性誌、学年誌など幅広い分野で活躍。千原ジュニア、田村淳、タカアンドトシ、次長課長、高橋克典など多くの芸人、俳優陣の連載構成を手掛ける。3年に及ぶ、自身の不妊治療奮闘記をまとめた著作『』(主婦の友社刊)が好評を博す。また主な構成/著作に、『』シリーズ(千原ジュニア著・扶桑社刊)、累計200万部突破した『』、『』(ともにKKベストセラーズ刊)などがある。結婚以来11年間、炊事・洗濯・掃除をこなす兼業主夫でもある。Twitter:

(2016年8月12日の記事を再掲載しています)